2011年5月31日火曜日

第2便、涙の出発!

第2便、出発の朝、すでに参加者は集合している。

そのメンバーの中に見たことある顔が、、、

な、なんと、、、

第1便のメンバーがそこに!!!

一人は大阪から三宮までチャリできた??
一人は2便の皆様の飲み会代を持ってきた??

この時点で、感動してしまった。
仲間とまごころ便をやってきて良かったと思った。

そして、引き続き活動を進めていかなければと強く確信した。

1便のみなさんの想いが、2便、3便と届き、最終的には被災地に届く。
そんなバスを運行したい。
まごころ便

2011年5月26日木曜日

1便、みんな、お疲れ様!

今回はまごころ寮で宿泊ができた。
受け入れスタッフの末村さん、しゅんさん、ミツキくん、いろいろとありがとう。

ボランティアさんも、「ぐっすり眠れました」と安心して過ごしたようす。
初日は陸前高田にいき、2日目は釜石方面にいったようだ。

まごころスタッフは、お世話になっている寮のスタッフと食堂の料理長とに釜石を案内していただいた。

被災地には仮設住宅がならびはじめているが、津波の被害にあったエリアはまだまだがれきの山。


最終晩、ボランティアみんなでじっくりお話することができた。

それはそれは、本当に勉強になるお話。

詳しくはページトップの「参加者の声」にて。

2011年5月25日水曜日

第1便、ボランティア開始!

本当に直前の広報だったにもかかわらず、まごころ便に4人の方がご乗車くださいました。

初日は本当にひたすら移動だった。
2時間ごとに休憩をした。

最後は山の中をひたすら走ったので、「本当に着くのか」と不安になる。。。

しかし、山が広がり、見えてきた景色は、なつかしの遠野。

なんだかほっとする。

まごころ寮の、われらが受け入れスタッフ(マッサージ担当)ミツキにオリエンテーションをしてもらい、即寝。


そして翌朝、ボランティア活動を開始。
みなさん、しっかり寝ることができたようだ。
この日の作業は、陸前高田の田んぼの片付け。

みなさん、しっかり活動されたようだ。

帰って、みんなの合意で銭湯にいき(シャワーはあるが)、まごころ食堂の夕食をいただいた。

みんなリラックスできたかな、、、?
初日はどうしても疲れると思う。
本当におつかれさま

遠野まごころネットの朝礼前に

2011年5月24日火曜日

神戸新聞さん、朝日新聞さんも感謝

出発間近の広報となってしまったが、何とか記事にしていただいた。

本当に小さな動きですが、記事をご覧になった方が、一歩でも二歩でも被災地支援のために動くきっかけになればうれしいです。

記者さん、ありがとう。

おかげで、一般の方のお申し込みは倍増しました。
さすが、マスのメディア。

神戸新聞さんは、朝早くから出発の写真を撮っていただいた。
朝日新聞さんは、姫路にも広報をしていただいた。


私たちスタッフからは、自立(経済的だけでない)を目指す障害者や若者、外国籍の方などにどんどん個別に声をかけていこうと思う。

これまで、芦屋駅と六甲道駅でも声をあげさせていただいた。
ボランティアなんて興味ない、という皆様に対してこそ、気持ちを伝えていかなければならない。
それが私たちの一番の仕事だ。

六甲道駅や芦屋駅で、有機野菜を売りながら、バスも知ってもらう!


2011年5月23日月曜日

読売新聞さん、感謝

こちらのアクションに一番に反応していただいた、読売新聞のF記者さん。
私たちが運べるボランティアの数は本当にわずかなものだが、私たちの気持ちを記事にしていただいたのことはありがたいです。

現地・地元関係なく、ひとりひとりが一歩行動に踏み出せるきっかけになるようにするのが目的のひとつ。
上手に言葉・文にしていただいたことに、感謝。

↓以下、記事

ボランティアは初めてという人や、経験の浅い人にも東日本大震災の被災地支援にどんどん参加してもらおうと、神戸市兵庫区の民間活動団体(NGO)「被災地NGO恊働センター」スタッフの尾沢良平さん(26)が、「不良ボランティアを集める会」を発足させた。毎週20人のボランティアを募り、火曜に神戸を出発、水、木曜に被災地でがれきの撤去などを手伝い、金曜日に神戸に戻るシャトルバス「まごころ便」を24日から運行する。
「不良ボランティア」とは、国内外の被災地でボランティア経験を持つ同センターの村井雅清代表が、最近出版された講演録で用いている言葉。
被災地では、知識や経験が豊富で、組織のルールに従順なボランティアだけではなく、初心者を含め、型にとらわれない発想や行動ができるボランティアも必要で、そこから生まれる多彩な関係が多くの支え合いにつながるとの趣旨だ。
尾沢さんは、村井代表の言葉を実践しようと「集める会」を結成し、初心者でも参加できるバスの運行を決定。尾沢さんらスタッフ3人が同行して参加者をサポートし、体に障害を持つ人の参加も相談に応じる。発生2か月が経過し、ボランティアが特に手薄になっている平日の2日間に活動することにした。
宿泊先は、岩手県遠野市の民間ボランティアセンター「遠野まごころネット」となり、参加費は宿泊費や交通費で1万5000円以内にする。
24日出発の参加者は定員に達しており、31日以降の参加者を募集する。問い合わせ、申し込みは、尾沢さん(080・1445・0547)。
(2011年5月22日  読売新聞)

2011年5月21日土曜日

乗車申込方法

「遠野まごころネット」のホームページに記載されている、ボランティア募集要項をご一読していただいた後、以下の7点をお電話かメールでお伝えください。


予定便については、特別な配慮・ケアが必要な方の申込・相談をいたします。
原則として運行予定表で確定した便への申込をお願いいたします。
(確定・欠便の決定は概ね2~3週間前にいたします)


080-1445-0547(尾澤)24hOK!

anythinggoes311@gmail.com

①名前
②住所
③生年月日(西暦)
④希望乗車便
⑤希望乗車地(三宮以外はご相談ください)
⑥電話番号(できれば携帯電話)
⑦メールアドレス
⑧特別なケアや配慮が必要な方は、その内容
⑨その他相談内容


2011年5月20日金曜日

遠野まごころネットへの連絡

ゴールデンウィーク前から、遠野まごころネットを通しての活動をさせていただいたが、

ボランティアバス派遣について、事務局に正式にご挨拶をした。

といっても電話でのお話だったので、第一便派遣中には、全体ミーティングで顔合わせをするつもりだ。

乗車申し込みがどんどん増えてきたが、まだ空きはあります。
ぜひ、お早めのご連絡を!

2011年5月19日木曜日

第1便・第2便、乗車申込受付開始!

広報スタッフのユウコにがんばってもらい、市民団体のメーリングリストやマスコミ関係に情報を発信してもらった。

第1便に関しては、土日でどこまで集まるかは不明だが、できることはやって、発車当日をむかえたい。

2011年5月18日水曜日

免許ゲッツ!

車輌班のスタッフと通った教習所。
やっと免許取得できました。
これで堂々と広報ができます!
見づらいが、確かに合格しました

2011年5月14日土曜日

遠野食材のレストランinKOBE

現地受け入れスタッフのミツキ君が神戸を発つ今日、仲間4人で遠野のレストラン、「カフェ・カルタ」でランチを食べた。

リッチな感じの神戸でのランチ。

ちょっと緊張気味だが、パンと発芽玄米がおかわり自由なことに、感激。

おなかいっぱい食べた。

今から遠野に向かうのに、わざわざ神戸で遠野を味わう。

ぜひ、神戸発遠野行きのまごころ便の成功も味わいたい

最初で最後のまごころ便の大奮発

2011年5月10日火曜日

中型一種限定解除

バスの運転は、スタッフ自身がやります。

自前でやります。

でも免許がない。

お金もない。

ほなら中型一種限定解除はけっこう安いみたいで、29人までは乗せれるということで、これをゲットしにいきます。

久しぶりの教習所。

深視力で危うくアウトになりかけたが、ぎりぎりセーフ。

早いこと取って、みなさんのボランティア魂を被災地に送りたいです。


2011年5月9日月曜日

第一回会議

ユウタ、ミツキ、リョウヘイが集まって会議を行う。

バス運行にあたっては、お金をどう集めるか、バスレンタルなど出費をどれだけ減らせるか、が議論になった。

まずは16日~19日、やってやろう!!


2011年5月7日土曜日

無事に到着

被災地NGO恊働センターのボランティア松浦さんと大西さん、読売新聞記者さんと一台の車に乗って関西に戻った。

高速で12時間の走行。

道中、新聞記事にはとうてい載らないような事件がいろいろ起きたが、無事に戻ってきた。

こちらはとにかく暑い。

遠野のすずしさがなつかしい。

1週間、休養と準備をして、まごころ便に備えよう!!

これにて、事前調査便は終了

どんどはれ

2011年5月6日金曜日

さよなら遠野

ユウタと被災地にボランティアに行くことを決意してから、さまざまな出会いがあり、遠野での活動につなげることができた。

2日間で終わるはずの事前調査便も、結局約2週間の滞在となった。

まごころ便を出すにあたっての、一定の見通しを立てることができた。

加えて、遠野を巡る休日ツアーに5連勤したおかげで、遠野の知識も増えた。

何よりも遠野昔話などを聞き、ボランティアさんのがんばりを聞き、地元の方のふるさと愛に触れることができたのは、大きい。

これから被災地NGO恊働センターのボランティアとして、グループで帰る。

いろいろな仲間に出会えたのも良かった。
まさか遠野がこのような地になるとは思いもしかなかったのに。

2011年5月5日木曜日

ボランティアジンギスカンパーティ!

ゴールデンウィークも一段落。

ボランティアのみんな、一緒にがんばってきたみんな、裏方のみんな、事務局の皆さん、本当におつかれさまです。

自分もここまで何とかねばりました。

休日ツアーも大好評。

軽トラも大活躍。

頂いたお米もどこかの避難所で活躍してるはず。


今晩はボランティアさんがジンギスカンパーティをやっていました。
あるボランティアさんは日本酒をおごり、あるボランティアさんは買出しにいき、あるボランティアさんはお酌をし、あるボランティアさんは盛り上げに徹し、、、

被災地まで飛んでくるボランティアさんは、自治能力も楽しむ力もあるんだなぁ。

あとはこれが長く続くようにしたいです。

みんなで役割を持って、楽しんで、食べて、飲む!!

2011年5月4日水曜日

明治のニーズ調査隊

山奈宗真(やまなそうしん)という方をご存知だろうか?

以下、よ~~~~くご覧ください!!


明治29 年(1896)6月15 日、約2万2千人の人命を奪い去った明治三陸地震津波。
岩手県における殖産興業指導の先駆者であった遠野の起業家・山奈宗真(やまなそうし
ん)は、大きな被害を受けた沿岸の水産業の行く末を心配し、復興につながる糸口を見
出すため、ひとり津波被害の調査員を志願し、総延長約700 ㎞の長く複雑な海岸線を
歩いて踏査したのです。
山奈宗真の残した記録は、のちに明治三陸地震津波の一級のデータとして再評価され、
また、その中に津波の予防や復興策と考えられる記述があることも注目されました。
115 年前に被災地に対する限りない悲しみと同朋愛を、明日への復興へと結びつけ、
「被災地に対して何ができるのか」、「大津波の悲劇を後世に」、「大津波に備えるべきこ
とは何か」を一心に考え、実行し、伝えようとした山奈宗真。
彼が残した記録は、平成23 年(2011)3月11 日、「東日本大震災」という明治三陸
地震津波をしのぐ大災害に見舞われた私たちが、今こそ未来に向けてなにをなすべきか
を伝えています。

復興支援テーマ展
期間:平成23 年4 月22 日(金)~7月11 日(月)
(期間中、5 月31 日と6月30 日は閉館)
場所:博物館企画展示室一部コーナー
内容:山奈宗真の津波被害調査資料22点
山奈宗真(1847~1909)
遠野南部家に仕えた武士の家に生まれる。各地に牧場を
開き、アメリカから乳牛を輸入・改良するなど牛馬の育
成につとめ、養蚕を奨励して遠野製糸場を設立し、私設
農業試験所でトマト・セロリなどの洋種野菜の栽培など
を行った明治時代の優れた起業家、岩手県内の殖産興業
指導の先駆者として知られている。
■お問い合わせ 遠野市立博物館
028―0515 岩手県遠野市東館町3番9号 TEL0198―62-2340 FAX0198-62-5758

2011年5月3日火曜日

まごころ寮、青森シスター&ブラザー

まごころ寮の管理業務をさせていただくにあたっては、すでに大先輩がいます。

青森からきている、しょうくんとめぐみさん。

まごころ寮を立ち上げた時には、わけわからんくらい多忙だったらしい。

なんせ、1からすべてやってきたから、相当いろいろあったと思う。

けど、彼らにはとても良い芯があるので、寮は最高のものになること間違いなし!

その芯とは、、

「管理業務は、ボランティアに管理を任せる仕事である」

というものでしょうか。

なるほど、ボランティアさんたちのことをよくよく分かって、信じていらっしゃる。

2011年5月2日月曜日

ボランティアの休日ツアー

さっそく4人のボランティアさんが”休憩”活動に参加してくれた。

遠野には遠野物語、昔話、民謡、というものがある。

大変有名みたいだが、初めて聞いたという若者も多いようだ。

この昔話を受け継いでいく語り部の会の方々が同行して遠野を案内するというツアーである。

「むかしあったづもな、





どんとはれ」

復興のヒントは必ず隠されていると思う。
大槌や大船渡などの海岸の町にまつわる物語はないのだろうか?


遠野路の 心のふるさと 聞かずして 帰るべからず ボランティア

まごころ寮

遠野まごころネットには、さまざまなNPOやボランティア団体が出入りしている「まごころ寮」というものがあります。

これは
日本財団ROADプロジェクト
の活動の一環として、

東海地震等に備えた災害ボランティアネットワーク委員会
震災がつなぐ全国ネットワーク
が業務運営管理を行っている、ボランティアの宿泊施設です。

全国から長い目で復興活動を支えていくシンボルとして、多くのボランティア団体に使われております。

神戸からのボランティアを運ぶ「まごころ便」は、ここの寮を使わせていただくことになる予定です。

これまでの活動の縁で、管理業務もお手伝いさせていただくことになったので、ボランティアをするにあたって不安のある方にも、さまざまなケアができるのではないかと思っています。
さあ、あとはバスの手配だけだ!!

遠野まごころ寮外観

2011年5月1日日曜日

最初で最後の個人ボランティア

昨日のニーズ調査で、陸前高田にある福祉施設で直接お話を伺った時に、

「利用者がいるにも関わらず、スタッフがいない。さらに気仙沼からも利用者の追加の受け入れがあり、施設環境の維持が大変だ」

というお話を聞いた。

四十九日のこの日、活動は自粛という流れがあったが、私たちは活動をした。

ボランティアセンターも通さず、誰にも報告せず、ただ誰かが困っているから動いた。

阪神・淡路大震災のときのボランティアの多くは個人で素人だったらしい。
そのことを少し確認したかったのもある。
直接施設に入り、一人のボランティアであることを伝えて、活動した。
とりあえず、無事には終了した。

しかし、いまは、、、

遠野にはすばらしいボランティアセンターがある。

遠野まごころネット。

ここを通さずに動くメリットはそこまでない。

なぜなら、少数者やひとりひとりに寄り添うボランティアの本質を遠野まごころネットはしっかりと見ているからだ。

ぜひ、絶対個人で動きたいという信念を持っている人も、ここに来てください。

その信念を下に活動しているボランティアがたくさんいます。