2012年3月30日金曜日

どんとはれ

1年前、尾澤と高木で軽トラックの幌を1週間かけて作り、何ができるかわからないけど、まごころ便を出せるようにと、米150キロと子どもの遊び道具を持って、遠野のまごころネットにおしかけました。

いろんな出会いがあり、遠野の方々にもお世話になり、まごころ便を出せる目処がつきました。神戸に帰ってきて、免許をとったり、バスを用意したり、募金をしたり、、、

そして、5月のまごころネットミーティングで、
「誰でも参加し、それぞれが判断して動いてもらうバスを出します。ケアの必要な方も、僕らが支え合えられる範囲で募集します。よろしくお願いします。」
というようなことを旗揚げ報告として話しました。

その時のまごころネット代表、佐藤正市さんは
「誰にでもできることはあります。ぜひ来てください。」
と答えてくれました。

それ以来、会としてミーティングに出ることはありませんでした。
この一言を言えるだけの雰囲気の場所に、自腹で大事な時間を使って被災地に行こうとするボランティアが集まれば、団体として何もいう必要がないと思いました。
言うべきことは、参加者のみなさんが活動を通して気付いたことを言っていくだろう。

そう思って、ハンドルを握って早1年。

いろんな方に支えられて、まごころ便は27回続きました。
いろんな事が起きましたが、27回続けられました。

今回の便で、ボランティアセンターに向かうまごころ便は終了です。
3月末に現在の代表の多田一彦さんと話し、撤退報告を行いました。
事務局にもご挨拶に行き、これまでの感謝を伝えました。

これまで乗車してくださった方が、被災地での体感と思い出を胸に、各人のやり方で復興への道を進んでいることを期待します。すでにまごころネットの中心となっている方や、何度も現地に足を運ぶ方、復興支援で現地に滞在している方、各地からボランティアを集める団体を担っている人もいます。

逆に、私たちには、そこまでする余裕はありませんでした。
まごころ便自身としては、被災地では声を出さず、復興プロジェクトや支援方法を提案できずにいました。振り返ってみると、まごころ便は、被災地への寄り添いではなく、何かしたいと思っている方たちへの寄り添いの方が大きかったと思います。
これが会の主たる目的であることは、皆さんに伝わることだと思ってきましたが、アピール不足もあり、そのことに疑問を持った方もおられるかもしれません。
そんな私たちの団体に惜しみなくご支援いただいた方に、そのことは明確にお伝えしておかなければなりません。

しかし、1年経った今、私たちも次の行動に出たいと思います。
現地に寄り添い、これからの復興に向けてできることをしていきます。
そのためは、まだまだ神戸・関西・西日本を中心とする方々のご支援ご協力が必要です。
今後とも、よろしくお願いいたします。

最後に、「不良ボランティアを集める会~まごころ便」を受け入れてくれた遠野に、心から感謝申し上げます。

どんとはれ。



長時間の移動、お疲れ様です。

2012年3月29日木曜日

それぞれの役割、人との出会い

女子高校生による手芸教室。

周りの男性陣はどうしようか。

出発前日に、手芸教室の時間が午後→午前と変わったので、
炊き出しをやろう!
ということになった。

前日にいろいろ準備をして、みんなであーでもないこーでもないと、論争を交えながら、当日を迎えた。
何を作るか、何がいるか、誰がするか、どのように進めるか。
すべて、各人の意思と能力を最大限発揮すれば、うまくいくはず。

男性陣は高校生の手芸教室の邪魔にならないように、買出しに行ったり、40人分の食事を作ったり、声かけをしながら告知をしたり、絵本を読んで勝手に楽しんだり。
おそらくそれぞれ自分のできることをしていたと思います。


料理担当はやっぱりこの人、船上の料理人 ほんまにうますぎてびっくりしました
メニューは、昨日作業した大槌でいただいたわかめのご飯と酢の物、鮭のかす汁

外には絵本の読み聞かせボランティアの車 楽しむ高校生と大学生
外で運命的な出会いに身を任せるのも、ボランティア活動
そして、中を見ると高校生と入居者が一緒に手芸をしている。
自分たちが準備してきたことを、自分たちらしく行う。
もう何も言わなくても大丈夫だろうと、判断。
男性陣は寒空の下、ずっとりんごを食べていました。
どうやら、全体の司会も女子高生自身がやっていたらしいし、それを周りから暖かく見守る先生とベテランの樋口さんの姿があった模様。
うまくいったのかどうか、問題があったかなかったかは知らないが、その有無は問題ではない。
こうすれば良かった、あれが悪かった、笑顔が生まれた、もっと準備したらよかった、話を聞けてよかった、成功した、悲しかった、楽しませるつもりがこちらが楽しませてもらった。
すべてがボランティア。
問題にぶつからないボランティア活動なんて存在しないはず。
人と人が自然に出会えば、多様な関係が生まれる。いろんな感情が生まれる。
全部大切にできればいいな~
あんびしゃすみつきに学んだことだ。
教えるつもりもなかっただろうし、間違ってるのかもしれないが、、、

日ごろの成果を発揮することができたでしょうか

りんごの皮むきを通して、家庭的なことを学んでいる女子学生と野蛮な男子学生との差を明確にしました

最後は食事をしたり歌を歌ったり。本当にお疲れ様です!

2012年3月28日水曜日

28日、まごころ便最後のまごころネット活動

今回の便には、ディープなリピーターから、大学生から、若者から幅広い参加者がいました。
最後を飾るには十分すぎるほど、バスがいっぱいになりました。

特に、北播磨方面から女子高生が7名と引率の先生、そして別の男子高校生も1人来ました。

車内はいつにもましてわいわいがやがや。

高校生たちは、仮設住宅の中で、得意の手芸教室をしたいと言ってくれたので、ぜひしてください!と仮設の方たち(あんびしゃすみつきがつないでくれた)を紹介した。

初日は、まごころネットの瓦礫撤去にいく。
大槌の赤浜地区。
細かい作業が多かったようだ。


作業終了後、翌日の手芸教室の案内で、各戸を回る。

手作りのクッキーと、手作りミニ巾着袋を持ってきてくれた。これを各戸に配りながら広報していた。
ボランティアのみんなもいただけて、うれしかった!


夜はいつもお世話になっている花巻市東和町の宿舎へ。
そこには、前回まごころ便でお世話になった方々が、ボランティアバスを出して岩手に来ていた。
ボラバスの代表をしているなんて、全くしらなかったですが、お互い代表の苦労と喜びを分かち合って、翌日に備えました。

2012年3月27日火曜日

一区切りの27便出発!

被災地に行くボランティアの絶対数を増やす。
ボランティアの裾野を広げる。

この二つの目的ではじめたまごころ便。
1年たって、私たちも活動の形を変えていく必要があります。

お見送りにきていただいたのは、左から
みつき応援最終便に乗ってくださり、その後の活動のアドバイスや情報をいただいている別府さん
一緒に暮らしながら、まごころ便を進めてきたあんびしゃす中華みつき
運転ボランティア、車輌ボランティア、送迎ボランティアで大変お世話になっている仲村さん
第一便から和歌山便に至るまで一緒に活動をしてきた熱血中村さん
若者スタッフのお腹を手作り弁当やサンドイッチで満たしてくれた井原さん
お見送り日本1位通りすがりの神山さん


写真の方々を筆頭に、いろんな方との支えあいでまごころ便は走ることができました。


日本酒やら、ミスドやら、手作りパンやら、お菓子やら、野口やら、、、
今回、お金を使わずに神戸に帰ってくることができました。
外食が続く遠出は、若者には痛いのです。

2012年3月12日月曜日

2012年3月11日追悼②

翌日は、岩手に向かう。
新花巻駅に到着すると、そこには見たことのある後姿が、、、
大槌町で被災し、復興活動で毎日動いている臼澤さんだ。

まごころネットまで連れて行ってもらった。
復興の現状や忙しい毎日の様子を細かく聞かせていただいた。
一緒に写真を撮りたいと言われ、一枚。
誰に合ったか忘れないようにしているのかな、、、?
そう思わせるくらい多忙のようだった。
一年たって、こういう地元の方が長く活動ができるように、周りのボランティアのサポートはまだまだ必要だ。
その後、あんびしゃすみつきの軌跡を追うために、釜石へ。
今後の活動は、みつきの姿勢から学びたいと思い、みつきの紹介でいろんな方に会わせていただき、話を聞くことができた。

そういえば、まごころ寮でお世話になった方もいると思いますが、料理長は仮設店舗でがんばっています。


10日から13日まで、福島と岩手の追悼の旅は終わり、花巻空港から飛行機で伊丹へ。
車以外でいったことがなかったが、その速さに驚愕。
あの14時間が、この1時間か。

そして、伊丹空港で、宮城のボランティア活動から、自分とほぼ同時に到着したアキさんと会い、わかめをいただいた。



まだまだボランティアが関わることができる範囲はあります。
生活復興、いのちの復興のために、これからも、できる範囲で、自分で考えて、みんなで手をつないで、被災地に寄り添うことができればと思います。

2012年3月11日日曜日

2012年3月11日追悼①

あれから1年です。
福島にいました。
南相馬沿岸部
これより先は警戒区域
4月16日から「避難指示解除準備区域」となる予定

南相馬の追悼式典会場を通ると、1・17希望の灯りの分灯、左端に見たことある人影

南相馬に通りすがるとは、、、
14時46分 阿武隈の山中 壮大な調和 分断させる原発
人っこひとりの一歩でも それは復興の礎

2012年3月5日月曜日

一区切りの27便、確定(満員につき、募集〆切)

以下の案内、募集しめきりました
まごころ27便を出します。
3月27日(火)朝6時45分三宮集合~3月30日(金)夜21時三宮着
(和歌山便3月6日~8日も、まだまだ募集中!)


お申し込みは、
電話 080-1445-0547
or
メールにて anythinggoes311@gmail.com

みなさんのおかげで、まごころネットを中心にボランティアバスを27回出せることになりました。
当初は9便で終わり、あとは不良ボランティアの想いを各地に伝えていこうと思ってましたが、この一年間はやはり実際に現地に行く方の運び役をしたいという思いが膨らみ、気がつけば27回目となりました。これにて、一度一区切りとしたいです。

とにかく現地にいってもらって、それぞれの発意で被災地と接していただく。
決して与えられたニーズに対してだけでなく、自分の思いで現地で動いていただく。
過度なお膳立てやツアー的な要素は極力なくす。
自己完結は支えあいという信念のもと、不安を抱えている方や障がいをお持ちの方とは共に歩む。

このような思いで、「不良ボランティア」を集めてきて、そのような活動がボランティアの裾野を広げるための「シンボル」になるように走ってきました。

もうすぐ1年という今、それぞれのボランティアが復興に向けてすでに進んでいます。
フェーズもだんだん変わっていきます。
当団体、私自身もその歩みの一歩を踏み出したいと思います。
その詳細はまた後日出しますが、キーワードは
「不良ボランティアたる存在はまだまだ必要で、そのことを広く伝える」
「あんびしゃすみつきから学び、作ってくれたご縁を大切にする」
「福島のこどもを放射能から守る」
「循環型社会への復興に取り組む」

それぞれどのような形で進めるかはまだ未定ですが、また決まりましたら、ぜひともご協力をよろしくお願いいたします。

それでは、乗車申し込みをお待ちしております!!

2012年3月3日土曜日

うた・ぼら

4回目の福島訪問には、ボランティアであり、歌手の西村和美さんが来てくれました。
不良ボラの事業とは違うんですが、ひょんなことから一緒に行くことになりました。

西村和美さんは、ボランティアに参加される度にギターを持ってきてくれて、歌ってくれます。

心に響くメロディーと詩に、感動したボランティアさんも多いと思います。

福島の人にも彼女の歌声は響きました。
お客さんの一人がとても彼女のことを応援してくれて、料理や酒までおごってくれました。

支援というわけではありませんが、自分のできることで人と人をつなぐことができるって、美しや~

郡山の酒場6575にて↓
http://ameblo.jp/folk6575/entry-11182693063.html