2013年3月23日土曜日

人と防災未来センター、ユースミーティング

2011年の夏にも呼んでいただいた、ユースミーティング。

今回は10組の若手支援団体が集まって、それぞれの活動の報告や展望を共有した。

まさかの体調不良(1週間寝込みました)で、挨拶早々ろれつが回らず、高熱で棒立ち。

やばいと思って、一緒に来てもらった10代のまごころ便参加者(上好くん)にほとんど話してもらった。

まごころ便の説明はほとんどせず、空と星と人、について話してくれた。

最高だった。

イベントの目的を無視(超越)した内容で、会場の空気をがらりと変えた。

お話終了後、会場の質問。

「ところで、あなたの会の被災地での活動内容を教えてください。」

肝心なことを言い忘れた2人だった。

当日のまとめレポート↓



ちなみに取材に来てた片岡さんは、聴覚障害をお持ちだが、いろんなイベントでよくお会いする。
片岡さんの姿勢からは、多くのことを学ばせていただいている。
片岡さんの記事↓


2013年3月11日月曜日

ラストラン

とうとう本当に横断する日が来た。
岩手から大牟田まで走ります。
出発のコンディションは最低で、暴風雪。
ここでスリップしたら2年間が水の泡だ!という気概で運転した。

早めに出たので、無事に時間通り栃木県の民間稲作研究所へ。
代表の稲葉さんより、福島と農業について。そして復興の希望となる、グリーンオイルプロジェクトの説明を聞かせていただいた。
http://inasaku.or.tv/kenkyujo/

概要はリンク先を見ていただければと思いますが、何よりも搾られた油にはセシウムやストロンチウムなどの放射性物質が原理的に含まれないということがポイントだという。

これが分断してしまった消費者と生産者のつながりになればと思う。

この日は南相馬の農家である杉内さんからもお話を聞けた。
2年目の3・11の日に、福島の方からお話を聞けたのは意味深い。

栃木を午前中に出発。
ひたすら走り、14:46にはSAに泊まり、各自それぞれの時間を過ごしていただきました。

西宮に到着したのが19時。
下関辺りが0時。
行橋が2時。
大牟田4時。

まごころ便はここで終了。西宮からは皆さんに運転してもらったので助かりました。

翌朝は北九州の辻口さんに会い、仲村さんのご実家周辺を走り、下関周辺で「瓦そば」を食す。
次の便は下関かな~と仲村さんと冗談を言いながら食べた。
さすがにこの時は、冗談で済むことを心より願った。

正午前に山口を出発。
3時頃、広島県福山に尾澤家の赤ちゃんの実質的扶養者である、冨永さんに会う。
ベビーメーカー勤務なのを思い出し、やっぱりおしかけで行った。
店員に呼び出してもらうという迷惑をかけながらも、丁寧にご対応いただきました。
お話できて良かったです。

そして17時頃、兵庫県たつの市にある仲村さんの勤務先付近に到着。
仲村さんは、これから少しでも仕事を減らす!と、出勤されました。
会社員はすごいと思いつつ、長田へ。

日本横断、37便。
みなさんのおかげで、無事に帰ってこれました。
ありがとうございます!


2013年3月10日日曜日

八女茶もいかなごもおいしい!

二日目、福岡から参加してくださった方が朝から独自に陸前高田に行った。
もともと「とうわボランティアの家」で、管理人をしながらも沿岸に通うという生活をずっと長期間していた方なので、まったく問題なく個人行動ができるということ。

朝9時前に到着して、ボラセン班2人ががれき撤去清掃などの活動に参加した。
残りは仮設住宅へ。

到着してからまもなく。
雲行きが怪しい。

今回参加してくれた星好きの上好君には天気予報をお願いしていたが、まさか雨・あられまで降ってくるとは。。。

暴風雪警報が出るほどの強い風が吹き荒れる中、取られた対策は以下の写真のようなものです。

けっこうギリギリアウトくらいの対策ですが、何とか乗り越えました。

ここでは子どももたくさん遊びにきて、将来教員を目指したいという学生参加者が本領を発揮。
指示などはほとんどない分、思い切って自分のやりたいこと・できることをしている姿は、とても幸せそうでした。

焼きうどんの先生も、女子大生がもう一人いたので、完全にまかせっきり。
子どもに教えたり、一緒に作ったりと、こちらが生徒になりたい気持ちになった。
素人男だけで焼いた「男焼きうどん」は、ソースを入れすぎて、住民の方は生キャベツを混ぜて食べていた。反省。

その頃バスの車内では大量のいかなごをパックに分ける作業が続いていた。
漁に出させていただいた兵庫区の奥さんはもちろん、神山さんの長田ネットワークでたくさんのいかなごを作ってもらった。
長田のおばちゃんパワーです。
釜石は漁師の町でもあるので、いかなごのくぎ煮は大人気。
杉野さんも炊いてきていて、いろんな味があったりして、話が盛り上がった。

そして八女茶。
住民の方自らお茶を入れてくださった。
「去年水害があって、まだ復興に向けてみんながんばっているんですよ~」
とお伝えしながら、飲んだ。粉茶はみなさんに持ち帰っていただいた。

杉野さんは途中仮設住宅を抜けて、福祉施設で活動をしたようだ。
自分で調整して活動しているので、すごい。

ボラセン班と合流後、大槌の合同追悼式の一般献花。
そして大槌の高台に登り、神山さんの案内で、1・17希望の灯りを見学。
その後、エルヴィス中野縁の赤浜地区の酒店へ。
勝手に通っているが、最後まで手を振って見送っていただけるのがうれしい。

極めつけはやはり海舟。
みなさんそうだが、この日は3回忌の集まりを行った方が多い。
ここの料理長もそう。
この日に店を空けて迎えてくださった。

この二日間、一緒に楽しんでくれた皆さんに本当に感謝です。

これでゆっくり眠るだけ、、、

と思いきや最後にやはりハプニングが起こります。
花巻に帰る道中、暴風雪警報でコンディションは最悪。
高速道路も通行止めになっている。
何と目の前には、スリップしている車両まで、、、
その時、仲村さんが「あの車両、軽自動車やからみんなで行ったら助けられるで!」と叫んだ。
この一言で、みんながスリップした女性のところへ。

すぐに駆けつけ、救出。安全措置や保険手続きなど、できるところまでみんなで手伝った。
警察が来てくれて、怪しいなにわナンバーのバスは岐路に着いた。
結局、温泉の時間は20分足らず。
悪天候のため、翌日は2時出発という超タイトなスケジュールに。
電車が止まって帰られなくなった塚本さんの姿を見るまもなく、ドライバー組みは就寝。
とりあえず無事に到着して良かった、、、


店みたいですが、談話室です

子どもに教える

子どもに教える2

1・17希望の灯りの分灯in大槌町

2013年3月9日土曜日

焼きうどんおいしい!

朝7時に岩手花巻市に到着。もちろん雪景色だが、道は良好。
ゆいっこ花巻の大桐さんに迎えていただき、必要な器材を借りる。
ボランティアセンターの活動をする人は、長靴も借りた。
ゆいっこ花巻の方々はまごころ便の生命線ともいえる。

その後、釜石の料理長より鉄板をお借りする。
この時、神山さんがさっそく「いかなごのくぎ煮」を渡していた。

釜石生活ご安心センターで4人が活動(がれき撤去)を希望し、残りのは仮設住宅へ。
もう10回目となる「鵜住居&西日本交流通信」を配る。
また、今回はハンドマッサージの杉野さんも来て頂いたので、その案内も一緒に伝えたもよう。
何度も参加していただいている杉野さんは、誰よりも住民の顔なじみになっているように思う。
井原さんも手にチューリップをたくさん持ちながら戸別に挨拶していた。
それぞれの気持ちで動いていただいてて、うれしいなと思いました。

焼きうどんは、小倉で学んできただけあってうまい!
特別うどんに特別ソース。
間違いなし。

鉄板名人の神山さんもいたので、問題なく作り続けた。
和尚さんをはじめ、周りの男性陣は、盛り上げて、盛り上げて。
最終的には焼きうどんと酒が始まっていました。
帰り際、住民の方々の顔がほんわか赤かったのは、気のせいだといいのですが。

終了後、炊き出し班は思いつきで釜石大観音へ。
そして、ボラセン班と合流後、陸前高田を訪問。

被災地を見て周り、修繕されかけの一本松も見た。
お土産屋でいろいろ買った後は、遠野のジンギスカン。
そして東和の温泉→旧成島小学校で宿泊。

埼玉から医師としてボランティアに来ている方と復興についての深い話をした後就寝。

長い長い二日間でした。みなさん、お疲れ様です!

この日の焼きうどんの先生は山口県からの女子大生のみ!他の周りはノリです。
地元の若者カップルが一番うまかったような。

ドーナツを用意してくれたり、準備段階でお手伝いにたくさん来ていただいた。
仕上げに少しだけ使う浜地鳥(日本酒)が、なぜか一升まるまる消えたのはなぜ??

2013年3月8日金曜日

小倉焼うどん教室と神戸巡り

報告会の後、料理室に移動すると焼うどんの香りがしてきた!
小倉焼うどん研究会の皆さんが、料理教室の準備をしてくれていました。
Tシャツやノボリもあって、雰囲気抜群。
仮設の方々にしっかり小倉を伝えるために、それぞれマンツーマンで教えていただきました。
何と、うどんやソース、天かすなど100人分もご提供いただきました。
みなさん、平日の夜遅くにも関わらず、本当にありがとうございました!
その後、八女に再度戻り、小森さんを送りました。
宿泊所のえがおの森に戻り、即就寝。

翌朝5時に八女を出発。
まさかの飛び込み参加者を期待したが、八女からはなし。

小倉駅でお一人。
そして広島から隠れスタッフが合流。
とりあえずわいわいしながら神戸に到着。

ここからは長田区在住の神山さんにバトンタッチし、長田の復興の様子を感じてもらいました。
1・17を実際に体験された方のお話は心に響きます。
途中、福島から避難されてきた方たちが始めたロールケーキの紹介もあったりしました。
お昼は長田のそばめし。

そのあとは人と防災未来センター。

最後はCODE海外災害援助市民センターの吉椿さんより、喝!を入れていただきました。
仮設住宅での活動に不安を持っていた方も、いろいろヒントを得られたのではないでしょうか?
中国四川の被災地住民からのメッセージもボランティア側への励ましに聞こえました。
加油!
出発!

ゲストスピーカーの方々も一緒に作りました。
みなさん、平日に遅くまでありがとうございました!


長田を巡るツアー


恒例:鉄人前
新開地出発!
過去の参加者向井さんが、長田よりお見送り&差し入れ!

井原さん弁当です。2つ食べてしまいました。
神戸の皆さん、ありがとうございます!

2013年3月7日木曜日

37便、小倉八女への旅

本当にできるかわからないけど、長田の居酒屋で口に出したが最後。

復興キャラバンの実質的核である仲村さんの出身が福岡。
とうわボランティアの家で管理人としてお世話になった塚本さんも福岡。
何といっても、昨年豪雨被災があったのも福岡。
出さない理由はない。

この旅に九州方面から参加してくれたのは、3人。鉄人です。
八女の活動には辻口さんも参加してくれました。


とにかく距離がすごいので、いろいろ計算してスケジュールを立てる。
財布のことはとりあえず置いておいた。

報告会の調整も、まごころ便同窓会をひっぱてくれた法化図さん(ご結婚後、辻口となり北九州市在住)にご協力いただき、セッティングしていただきました。
お話では、昨年に東京から足湯活動を中心としたボランティアバスを何度も派遣してきた立場から、ひとりひとりに寄り添う活動の重要性を語っていただきました。

そして、九州北部豪雨の被災地八女市では、ボランティア活動を継続している山村塾の小森さんに大変お世話になりました。
国際色豊かな里山活動に参加させていただき、水害現場も見学させていただきました。
報告会では、これからの都市と農村の関係を見つめなおす必要があり、災害復興ボランティアは未来への一歩のきっかけになっているという視点を聞かせていただいた。
もちろん、水害が発生する前から地域に密着した活動をしてきたのも、スムーズにボランティアの受け入れをできた理由だとのこと。

まだまだ活動は続いているので、ぜひチェック!!
3/9(土)、15(金)、16(土)、29(金)、30(土)、31(日)
※雨天時や運営体制が整わないときは中止することがあります。

そしてもうお一人、絆プロジェクト北九州の菊堂さんにお話ししていただいた。
県外避難者の受け入れ活動を、官民協働で進めてきた活動。
中核になっている「北九州ホームレス支援機構」の活動理念が最大生かされているという。
伴走型というフレーズは、傍らに寄り添うという言葉に置き換えられるのだろうか。
かなり深い意味があるように感じたので、ぜひ普段の活動も見てみたいと思いました。
自立や人という言葉ひとつひとつに、まだまだ悩みがつきない姿勢には驚きました。

小さなご縁しか呼び込めなかった報告会でしたが、小森さんと菊堂さんに励まされるような形で福岡滞在は無事に終わりました!

6日(水)夜にたつので仲村さんより車両をお借りしました。
神戸福岡間はこれでいきます。ありがとうございます


7日(木)朝、八女到着後すぐに山林整備活動に参加。
イタリア・フランス・アメリカ・韓国と多国籍活動。


農地・山林・道路。すべてまだまだという印象。
できることはあります。

茶畑・田んぼが広がっていたが、完全に土石流に埋まっている。


2013年3月5日火曜日

神戸いかなご漁を見学

37便には、ぜひ神戸の名産「いかなごのくぎ煮」を持っていこう!と神山さんからご提案がありました。
ちょうどその時、バイト先の奥さんの旦那さんが、兵庫漁協の漁師をしていると聞いていました。

これも何かのご縁かなと思い、職員さんに連絡して漁船に乗せてもらうことになりました。

当然ど素人にはお手伝いできることもないが、少しでも春においしく食べている「いかなご」がどのような方々によって、どのように獲られているか、この目で見たかったのです。

集合は未明4時半。
神山さんも誘ったが、電車もない時間だったので、新長田から兵庫区の兵庫漁協まで歩いてくださった。
僕も目をこすりながらバイクで走った。
こんな工場地帯に漁船があるということにまず驚いた。

網を引く2隻と、網をあげる1隻の、3隻が1グループ。

網をあげる船にお邪魔することになり、早朝暗闇の中、5時に出港。
6時くらいに関西国際空港沖まで到着。
数回網を揚げ降ろしし、11時過ぎに神戸へ向かう。
到着は正午前だった。

100隻くらいの船がうようよ同じ海域に漂っていた。
常に集中力を切らさず、スロットルを握る漁師。
いまの漁業の現状をいろいろ聞かせてもらった。
もちろん僕らはただ見届けるしかなかったが、体感として得られたものは大きかったです。

最近はいかなごの数も減っているらしく、網を降ろせる期間や時間は厳しく制限されている。
これからの漁業、埋め立てや養殖などの影響、跡継ぎ問題、魚離れ。
いろいろ考えることもあるけど、とにかく経営と将来設計、技術はシビアに。
そして、何よりも海が大好きだからできる。

こんなことをいかなご1つ通して、教えていただきました。
本当に勉強になりました。

そして最後に奥さんが、20パックも炊いたくぎ煮をプレゼントしてくれた。

神山さん曰く、1・17の時も仮設に来てくれたボランティアの恩返しとして、被災者のおばちゃんたちがくぎ煮を炊いて配ったとのこと。

神戸の名産を、しかと東北に届けます!



漁船が集まってくる。大阪湾。少しずつ太陽が昇る。

チームワーク、技術、経験、カン。すべてを総動員して、いかなご漁ができる。